今必要なのは良質な哲学

こんにちはトミーです。


クラウドソーシングでライターの仕事を始めてからもうすぐ1ヶ月経ちます。


一記事書くのに試行錯誤して、この一か月に書けた記事の数は3つです。起業の勉強も同時進行でしていたので、あまり書けませんでした。月収にすると5000円ちょっと。ライター初心者はみんな最初は月に5000円くらいが普通だそうです。5000円の壁を越えるのが大変だとか…


1ヶ月ライターの仕事をしてみて、視点がぐるりと変わりました。今まで何気なく検索して見ていた記事は、ライターの方がどうやったら大勢の人に見てもらえるか試行錯誤して出来上がった作品なのだと、感じるようになりました。


本当に一記事書くだけでも大変でした。どうやって情報を集めるか、何を書いたらたくさんの人が見てくれるか、記事の構成はこれでいいのか…


やってみないと分からないことばかりで、苦戦しました。


でもやっぱり実際に文章を書いてみて、読書のニーズを考えることの大切さが分かりました。文字を読むのも時間を取られます。どれだけその人にとって意味のある文章なのかということを、記事の最初でアピールしないと、最後まで読んでもらえませんよね。



ちょっと早いですが、ワードプレスで立ち上げたブログに記事を書いてみようと思います。ゆくゆくはそこで派生して何か仕事になることを見つけようと思ってはいますが、まずは稼ぐことうんぬんよりも、記事をたくさん書いてみようと思います。また、勉強のために今のクラウドソーシングのお仕事はしばらく続けます。


今、漠然とした不安があります。


今までは当然のように、教育を受け、受験をして、大学に行き、将来的にどこかで雇われるのだろうと思ってぬくぬく生きていましたから。


自分の足で立とうとするのは人生で初めてですね。怖いです笑


多分個人事業主の方など、雇われない生き方をする人って、人に何を言われても折れない美学、哲学、信念がないとやっていけないと思うんです。


しかも大多数からわざわざ抜け出して、少数派になるならばなおさら強い信念がないと、ふと後ろを振り返った時に不安と恐怖という厄介なやつらに刺されます。


今私に必要なのは、折れない哲学に基づいた強靭な意志ですね。いやー人生ますます深まってきました笑


新しいことをする時はいつも不安と恐怖が隣り合わせです。今まさに人と違う生き方をしようとしている私にとって、その不安や恐怖は間違いなく人生の試練でしょう。


自分の人生を生きたい一心で、とにかくひたすら自己表現してみます。結果が出るか、私がくたばるか…笑


また進展があったら報告しにきます。

人生初めての収入

こんにちはトミーです。


ご無沙汰しております笑


今回は近況報告ということで、本当に小さいことなのですが、どうしてもお伝えしたいので書きます!


ついに今日、人生初のお給料を頂きました!泣


24にして初の給料です!


少し前に「アフィリエイト始める!」なんて宣言していましたが、ブログまで立ち上げて、自分の文章力のなさに気がつき、何も書けず、早速挫折していました…


そこで、まずは下手くそでもいいから文章を書く仕事をしようと思って、クラウドワークスで記事を書くお仕事を頂き、今日その書いた記事が合格となり、お給料1000円を頂きました!


最近も話題になっていますが、クラウドワークスはいわゆるクラウドソーシングの労働形態をとる企業で、フリーランスのライターやプログラマーなど、個人が個人事業主となって仕事ができます。


クラウドソーシングは場所と時間を問われないので、誰でもできますね!そのかわり単価はやはり安いです。


でも単価は安いとはいえ、自分が書いた文章を文章のプロである編集者が読んで、評価をして頂けるというのは、ライター駆け出しの私にはまたとない成長のチャンスです。


しばらくこのお仕事を懸命に続けようと思います。もともと文章を書くのは好きなので続けられる自信があります!


それから、編集者の方にはお世辞とはいえ「ビギナーとは思えない出来の記事を書いて頂き、ありがとうございました」というお褒めの言葉を頂き、嬉しさで悶絶しております笑


生まれて初めてのお仕事でこんなに有難いお言葉を頂けるとは(T . T)


仕事をして生きるのは大変だと思いますが、今感じているありがたさを忘れず、初心のやる気を忘れずに仕事ができればなと思っております。


これからも真剣に、自分のできることを精一杯やっていきたいと思っております。応援よろしくお願いします。

生きてるだけで迷惑

こんにちは。トミーです。


昨日、ネットのニュースにあったので皆さんもご存知だと思いますが、ゲーム関連の会社の求人広告会と業務委託契約をして働いていた女性が自殺したことについて書きます。


社長は契約をした3人にブランド品を買い、それを貸し付け金として、後々に返済を求めるようになります。


その3人のうち1人は勇気を出して知人に話したところ、社長はそれを守秘義務違反だとして数千万円の賠償金を求めました。


さらに賃金は天引きされ、家賃も払えなくなると、会社に住まわせます。そしてその会社に住むための家賃も請求し、3人には「生きているだけで迷惑」「交通事故で死んでほしい」などと罵声を浴びせ、深夜も働いていることを証明させるために、数分おきにラインをさせたそうです。


3人のうちの女性は社長に「自分は死んだ方がいいのか」と聞いたところ、社長は目の前でパソコンを壊して「死んだらゴミが増えるだけだ」と言い、当日、女性は自殺したそうです。



平成最後にして、とても悲しいことが起きました。なくなった女性にはご冥福をお祈りいたします。


これは、明らかに監禁・殺人で、刑事事件だと思います。なぜ3人の方はこのような環境から逃れることができなかったのでしょうか。


そもそも、一般的に行われている雇用契約は使用者と労働者の主従関係があり、労働者は労働基準法や労働契約法に守られる契約となっています。


今回のような業務委託契約は、労働者ではなく個人事業主とされるので、労働者のための法律には守られません。


しかし業務内容が、使用従属性が認められるような場合は労働者として見なされることもあります。今回の場合は明らかに、場所や時間の拘束もあり、訴えるための条件は揃っているようにわたしには思えました。訴えようと思えば訴えられたかもしれません。


私は法律関係の知識は全くありませんが、今の日本の労働環境に押し潰されないためにも、一人一人が法律の知識を持つべきなのではないかと思います。この社長のように外面が良かったら、周りからは内部の問題が見えません。


本当に、殺伐とした世の中になってきましたね(^_^;)私も労働を支えたいと思うなら、学ばなくてはならないことがたくさんあることに気がつきました。


一人一人が1つの場所だけでなく、逃げ道を作れるようになれたら少し変わるのではないかと思っています。

さらば、友よ

こんにちは。トミーです。

アフィリエイトを始める!と宣言いたしましたが、このブログは非営利で全くアフィリエイトとは関係ないことを書いていきますのでよろしくお願いします笑

つまり、私の気持ちを垂れ流しする場所ですね!(^-^)笑
見守って頂けると嬉しいです。

学校をやめようとした時、ほんとにいろんな友達に止められました。

「ここまで来てやめるなんてもったいない!」

「これだけ親に学費払ってもらってやめるのは親不孝ものだよ。頑張って一緒に卒業しようよ!」

もう本当にその通りで、ぐうの音も出ませんでした…。

友達に引き止められることに加えて、自分も学校を辞めて今後どうしていくのか決まっていなかった不安もあって、やめようとして学校に行かないと決めても、またしばらくしたら何事もなかったように学校にまた通ってしまってたんです。

「学校やめなくてもやりたいことはできるはず」
「とりあえず大卒だけは取っておこう」

自分にそう言い聞かせては、どこか釈然としないまま学校にまた通ってしまってたんです。

今思うと、自分の中で「自分の人生を生きる」覚悟ができてなかったんですよね。

将来が怖かった。決められたコースから飛び出して生きていく自信がなかった。

そんなこんなでだらだらと学校に通っていたんですが、ある時気がつきました。

このままいくと、自分は消えてしまう、と。

もちろん物理的には消えません(笑)人生に悲観してたとはいえ、このまま死ぬ気なんてさらさらなかったですから。

でも本当に、人ってやりたくないことをやっていたら、人としての存在が消えてしまうんです。

やりたくないことをやっている人って、「生気」がほんとになくなっていくんです。

これは私も実際そうでしたが、学校で他にも辞めたいと言ってる人もいて…

その人はもう後がないからと言って続けることを選んだので私とは違う道を選びました。

でも明らかに目に生気が宿っていないんです。

私はその人のその目を見て怖くなりました。このままだと自分は消えてしまうのではないかと。

そこからは友達にも先生にも何を言われても、辞める!の一点張りでした。ここで自分の意志を通さなかったらまた同じことの繰り返しなので。

結局、やめてよかった。辞めることを間違いなく自分の意思で決めたからこそ、今ここにいるという感覚が戻ってきました。

辞めてからもしばらくは、止めてくれた友達とやりとりをしていましたが、自然となくなり、今では全く音沙汰ありません笑

学校をやめようとした数ヶ月でものすごく大切なことを学んだ気がします。

それは、どれだけ仲のいい、気の知れた友達や恋人や親が何を言おうと、自分で決めなければならないということです。

結局人は孤独なのかもしれないですね…。友達は私じゃないし、私は友達じゃないんです。

どれだけ一緒にいても違う人間なんですね。そして、自分で違う道を選ぶということは、その友達ともお別れする可能性があるということです。

環境が異なれば周りの人間も変わります。

でも、本当にやめてよかった。自分が消えないために行動してよかった。

なんとか首の皮一枚繋がりました笑

ここからが踏ん張りどきなので、また頑張ります。いい報告しにきます!

では。

雇われない生き方

お久しぶりです。トミーです。


生きてます(笑)


未だに仕事に迷っていて、親のすねかじり状態の24歳です。ただ、なんとなく自分のやりたい労働形態が見えてきました。


私は会社に雇われて生きることをしません!ここに宣言いたします!笑


今や日本は経済的にも物質的にも豊かになり、国民が何不自由なく暮らせるようになりました。でもそれを支えているのは他でもなく、汗水流して働いている日本国民の皆様方です。


日本が成長していって、豊かな暮らしが当然のように送れることはとても喜ばしいことです。日本はご飯も美味しく、水も綺麗で、日本製のものは素晴らしいですね!


ただ成長と同時に、求められる水準も跳ね上がります。当然のように豊かな暮らしができるということは、それを維持する能力を持つ労働者が必要になるということ。


会社では高いクオリティのものを社会に継続的に提供できるよう、社員は汗水流して、時には血を流しながらも仕事をすることが求められます。


私は本当に日本が好きです。周りを見渡しても、皆さん本当に真面目で、努力家で…。そういう方達の普段の絶え間ない労働、時間外見えない努力の上にこの素晴らしい日本が成り立っているのだなぁと、日々思います。


しかし。しかしですよ!


その会社を愛して、会社のために身を捧げる覚悟を持って働くならばよしにしても、「この会社を辞めたら他のところは雇ってくれないかもしれない。怖くてやめられない。」や、「自分には才能もないから、やりたくないけどここで働くしかない」と思って働く方がなんと多いことか!


私はここが日本の労働の問題点だと思っています。


日本はあまりにもレールを外れた人に厳しい。順当に小学生、中学生、高校生、大学生、そして就職という道を辿らなかった人に残された道がとても少ないような気がします。


もちろん自分で切り開いていける人もいますが、そもそも現代の日本人の根底に、会社に就職できなかったら食べていけないという考えがこびりついているように思えます。


これは非常にもったいないことだと思います。みなさん、自分で思ってるよりも輝くものがあります!


私はコミュ障だし、友達も多い方ではありませんが、関わる人みんなそれぞれ素晴らしいところが必ず見つけられます。人の気持ちをすぐに察することができる、人の話を中立的に聞くことができる、アイデアがすぐ浮かぶ、いるだけで周りを和ませることができる、一人で黙々と作業ができる…


確かに、世間から求められる水準は高い。でもそれを会社に「強要」される必要はないのではないでしょうか。


自分の個性を生かして、価値のあるものを社会に提供できればいいのではないでしょうか。


今はインターネットが普及して、自己発信が誰でもできるようになりました。


みんながそれぞれの個性を生かして、価値のあるものを提供する社会は決して絵空事ではないように思えます。


もっと労働の形態が自由に、柔軟になっていけばなと思います。


と、働いたことのない24歳のガキが言っております笑


私は日本に「雇われないで生きる」ことができることをなんとか証明して、広めて、労働の形態を増やしたいと思っているので…


とりあえずアフィリエイト始めます!


ゆくゆくはネット上で企業して、何かできればなと思っています。また結果が出次第、報告しにきます。

モラトリアム

こんばんは、トミーです。


私には何もありません。知恵も、権力も、お金も、コミュニケーション能力も、人脈も、何も持っていません。


こんな私が社会で何ができるでしょうか。


どうしたら人のために生きていけるでしょうか。どうしたら人を守れるでしょうか。


つくづく自分は弱いなと思います。医療の勉強をどれだけしていても、目の前で亡くなっていく人に何もできません。


働く人を支えたいと思っても、その方法が今何も見つかりません。聞く人もいません。


社会で私は何ができるでしょうか。これがモラトリアムというやつですか?

働いたら負けという真理

f:id:tomonster:20180724211508j:plainこんばんはトミーです。


ひと昔前に、「働いたら負け」というセリフで話題になったニートの若い男性を覚えていますか?


掲示板などで話題になり、若者に対する批判や、こんな社会になってしまったと嘆く人など、人々の反応は様々でした。


私もずっとそのセリフが当初から気になっていて、自分なりにいろいろ考えたのですが、言葉少ない彼らニートが本当に伝えたかったのは「(やりたくもない仕事を、生きるためだと自分のやりたいことを諦めて奴隷のように)働いたら負け」ということだと勝手に解釈しています。


あの当時の若者は不況の状態しか知らず、親や周りの大人たちが大変な思いで、時にはやりたくない仕事をやっている姿しか見ていない人も大勢いたのではないでしょうか。


ひと昔前はバブルもあり、売り手市場で就職できない人はあまりおらず、入った会社で頑張るというのが目標だったと思いますが、その後の不況で就職することも難しくなり、とりあえず生活費を稼ぐということも全員ができるというわけではなくなりました。


たしかに働く場所を選ばなければお金は稼ぐことはできると思いますが、そのせいで過労死や自殺をしてしまったら何のために働いたのか分からなくなります。


今は少し経済状態も回復していますが、当時は不況真っ只中で、将来への希望を失っても仕方がないように思えます。


だからあの時就職しなかった人もそれなりの理由があったのではないかと思うんです。もちろんあの不況の中ちゃんと就職して自立している方は本当に努力されたはずですが。


ただ、そこで働かないというのも一つの選択肢だったのかなと思います。たとえ親のお金で生活することになっても、やりたくないことはやらないぞというのもまた一つの意見なのかなと思います。


まだまだ日本の労働環境には問題が多いような気がします。私は雇用の幅をなんとか広げたいなと今考えていて、そのキーになるのはやはりインターネットかなと思っています。


まだ何をすればいいのか全く分かりません。知識も人脈もありません。


でも何か日本の労働環境の改善に貢献したいと思っています。